〔波佐見焼 陶房・青以陶人・回帰水使用〕 竹ノ下左千夫さん

 

長崎県の中央北部、波佐見町は県内唯一の「海無し町」。海の幸は無いものの、良質の陶石という山の幸に恵まれ、窯業(やきもの生産)で発展してきました。日本での磁器の生産は、朝鮮李朝の陶工により1600年頃、有田(佐賀県)で始まったと伝えられていますが、有田に隣接する波佐見でも同時期に磁器生産に成功したとみられています。

四百年余の歴史を持つ「波佐見焼」。現在も全国有数の生産量を誇っているにもかかわらず、その名は案外知られていないようです。というのも、江戸時代には当時の積出港伊万里の名を取って「伊万里焼」、明治以降は積出駅の名で「有田焼」として出荷されていたのです。伊万里焼、有田焼の中には、実は多くの波佐見焼が含まれていたわけです。江戸時代中期、巨大窯を築き、すでに大量生産を可能にしていた波佐見焼は全国に出荷され、「くらわんか茶碗」に代表される庶民の日用食器として、まさに江戸時代のベストセラー商品でした。江戸末期から明治・大正時代にかけては「コンプラ瓶」と呼ばれる輸出用の酒や醤油を入れる瓶が量産され、世界各地へ。このように常に時代のニーズを取り入れてきた波佐見焼。日本の食卓に貢献してきたその歴史を辿るだけでも楽しいものがあります。

波佐見町で陶房「青以陶人」を営む竹ノ下左千夫さん。開窯したのは平成元年ですが、17年程前から『回帰水』を作陶に使っています。最初はペットボトルの回帰水だったとか。もちろん飲用でしたが、この水は作陶にも良いのではないかと思い、早速チャレンジ。やきものは土と水が主役です。最近では波佐見の陶土(陶石)は少なくなり、品質・量とも日本一の天草のものを使っているそうですが、どんなに良い土でも寝かさないと粘りが出ないとか。水を混ぜて時間を置きます。水道水を使っていた頃は、水が腐るというか、夏など特に土が臭くなっていました。それが回帰水に替えたら1年置いても変わらない。「これは!」と思ったそうです。自然回帰生水器ナチュリターンVIPを付け、今では土をこねる時ばかりでなく、素焼きした後に回帰水をくぐらせたり、釉薬や絵具も回帰水で溶くなど、水を使うシーンでは回帰水が欠かせません。

形づくり、絵付け、焼きと分業があたり前のやきものの世界ですが、竹ノ下さんはすべての工程をひとりで行います。先代の父上は絵付け専門だったとか。竹ノ下さんも絵が得意で、下絵もなしに様々な花の絵を描くことでも有名です。数々の陶芸展に入賞し、町の「陶芸の館」にも作品が展示されている竹ノ下さんですが、伝統を踏襲しその良さを守ると共に、近代陶芸の先駆者「板谷波山」を師と仰ぎ、釉薬の下に絵付けする独特の技法にも取り組むなど、次々と新しい分野にチャレンジしています。

「ともかく、色々なことに興味や関心があって。自分だったら、ここはこうするなとか、こうしたらどうなるかなとか……日々チャレンジしています。作風が変わったとか言われますけれど、ひとつの形に固執することはない。様々な表現で、自分を出せたらいいと思っています」と。百貨店で個展を開いたり、東京の「伝統工芸青山スクエア」で展示会を開いたり、アクティブな竹ノ下さん。回帰水のネーム入りのカップのような作品も沢山作って下さい。

 

●長崎県東彼杵郡波佐見町折敷瀬郷

TEL&FAX(0956)85—5585

 

2017年08月27日